葬儀社の安置施設などに故人を休ませ、弔問もその施設で済ませてしまうケースが増えています。自宅で弔問客を迎えなくてよいため遺族の負担は軽減されますが、事情によってはラクな葬儀といえなくなってしまうことも。今回は、神奈川県に住むBさん(54歳男性)の体験談をご紹介します。
実家は2世代続く八百屋ですが、一人息子の私は店を継がずに都市部へ就職しました。父は元気に八百屋を営んでいましたが、74歳で脳梗塞を患ってからは店を休みがちに。同時期に足を悪くした母と静かに暮らしていました。そんな父からある日電話で「俺が死んだら○○葬儀社に頼んでくれ。見積もりも取ってあるから」と告げられ、慌てて帰省しました。
父に詳しく話を聴いてみると、最近近くにできた○○葬儀社のホールに終活の一環で足を運んだとのこと。そこには遺体の安置施設があり、施設内で弔問客も迎えられるというのです。
「うちは商売をやっているし、弔問してくれる人もけっこういると思うんだ。でも、お母さんはこの通り足が悪くてあんまり家の片付けができない。この家でお前が弔問客をいちいちもてなすのも面倒だろう。葬儀まで設備の整ったホールにいたほうが、何かと便利だと思う」
私は「そんな先のことは考えないでほしいけれど、もしものときはそうさせてもらおうと思う」と答えました。父の言うとおり、狭い自宅で母の足を気遣いながら弔問客に対応するのは大変だろうと思えたからです。
父が80歳で亡くなったときには、予定通り○○葬儀社に依頼してホールへ遺体を安置してもらいました。そして自宅兼店舗のシャッターに「忌中」の貼り紙を貼り、「故人と遺族は○○葬儀ホールに滞在しています 弔問はホールで受け付けます」と記しました。葬儀を行うまでの3日間は朝に自宅のカギをかけて出かけ、夕方に戻ります。
しかし忌中の貼り紙をした翌朝、インターフォンが鳴り止まない事態に見舞われました。「朝ならいると思った」と商店街仲間や八百屋時代のお客さんが訪れ、母に慰めの言葉をかけて帰ってゆくのです。訪れるのは近所に住んでいる高齢の方々ばかり。「車の運転が必要になるホールへ出かけるより自宅の方が近いし自力で行けるから」と、誘い合って来てくれるのでした。
「ここに来てくれても父はいないんですよ」と告げても、弔問客は「お父さんにはお通夜で会うから」と口を揃えて言います。母が心配でちょっと寄ってみただけだと。ありがたい話ではありますが、これでは当初のねらいが叶えられません。
まさか帰ってほしいとは言えず弔問客の対応に追われていると、時間はどんどん過ぎていきます。その日は午前10時までにホールへ行き、葬儀社員と打ち合わせをしなければなりません。ホールへ訪れる弔問客への対応もあります。仕方なく、いったん母を自宅に置いてホールへ向かいました。
ホールに到着するとすでに弔問客が訪れており、到着が遅れたこと、母がその場にいないことにお詫びの言葉を述べなければなりませんでした。そのまま葬儀社との打ち合わせに入りましたが、弔問客が来るたびに中断。「母がいてくれればお客さんに対応してもらえるのに」と思い、母へ電話を入れると「いつ迎えに来てくれるの?」と言われます。
そうでした。母は足が悪く、自力ではホールに行けません。「打ち合わせが終わったら迎えに行くよ」と言ったものの、自分がホールにいない間に弔問客が来たらどうしようと気にかかります。「9時に来たがいなかった。11時にまた来ます」とメモを残した人がいるのです。打ち合わせを終えてすぐに母を迎えに行き、なんとか11時までにホールへ戻ることができました。
結局、葬儀までの3日間はずっとこんな有様でした。慌てると忘れ物も多くなり、ホール近くのコンビニでスマホの充電ケーブルを買ったり、どうしようもなく母をタクシーで行き来させたりなど、無駄な出費がありました。「自分の身体が2つあったら」と何度思ったことか分かりません。
通夜にはたくさんの人が訪れてくれ、父が地元で誠実に商売を続けてきたことを改めて実感しました。翌日には葬儀も終わり、いよいよ出棺。葬儀終了から出棺までの間は、棺のふたを開けて「お別れの時間」となりました。
「お別れの時間」に棺を覗くと、そこには紛れもなく父の顔がありました。当たり前のことなのに、少し驚いてしまった私。「ああ、父さん、ここにいたのか」と頭の中でつぶやきました。こんなにじっくりと棺の中の父を見るのは初めてだったのです。
父の顔を見つめながら「父さん、みんな来てくれたよ。いいことなんだけど、俺はなんだか疲れたよ」と、心の中で苦笑気味に報告しました。あの世で父も、困ったような笑い顔を浮かべていることを確信しながら。
親族中心に行う家族葬、葬儀をせず火葬のみを行う直葬など、さまざまなスタイルの見送り方が選択できるようになりました。終活の一環として、葬儀のスタイルを決めておこうと考えている方も多いのではないでしょうか。
今回のケースのように、故人だけでなく遺族も安置施設に移動して弔問客を迎えるスタイルも珍しくなくなっています。人付き合いがあまりなく弔問客が限定されている家族であればゆったり過ごせますが、とくにご近所付き合いが濃厚だったり、自営業をされていたりすると、今回のような失敗に陥る可能性が高いといえます。
葬儀のスタイルを決めておくなら、自分の希望がしっかり叶えられるかどうか具体的にシミュレーションしてみるのがおすすめです。葬儀スタイルのメリットだけではなくデメリットも把握して、周囲に相談しながら検討を進めると失敗しにくくなるでしょう。